外国人の目から見た今の東北地方

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ガヴァネスのJhoがこの夏東北に行ってきたので、彼女に頼んでその時の印象を書いてもらいました。外国人が今の東北を旅行するとどのように感じるのか、興味深いレポートです。



■Tohoku in Summer: An Appreciation of True Beauty (Jho)

2012年は私の日本での4度目の夏ですが、そのうちの3回も毎年恒例の夏の旅行に参加し、楽しく過ごしたことは私の自慢です。その旅行は、主に長野県に拠点を置く企業に資金提供を受けた奨学金財団が実施しています。この財団法人はまた、長野出身の東京で高等教育を受けている学生のための男子寮も運営しています。

今年の旅行は、以前からの友人だけでなく新しい友人らと共に参加したのでわくわくする経験となりました。とりわけ、それは私に感嘆すべき北日本、東北地方を見る機会を与えてくれたから。私の友だちは東北地方を地球上の天国であるとのお墨付きを与えました。
その神秘的な美しさが彼を魅了したことは間違いないでしょう。

一方、私は東北を人生の要素を具現化したものととらえました。
空気、水、そして地球。私自身の眼を通して東北を見ることは、自然主義者としてだけでなく現実主義者としても美しさの核心を楽しめました。

なにが自然の特徴なのでしょうか? 例えば、宮城と山形にまたがる蔵王山の景色を考えてみました。涼しいそよ風、生い茂る緑、神秘的な、しかし心が弾むエメラルドグリーンの火口湖の御釜湖は、たくさんの観光客を惹きつけみんなその前で写真を撮っていました。

蔵王山からはフィリピンのタール火山を連想させられました。タール火山も同じようにユニークな山の形と景色の美しさによって訪れる観光客と地元住民を魅了しています。

心を奪われる自然の場所といえば、他に宮城の松島湾が挙げられます。
そこをクルーズすることで私の心は故郷の南フィリピンへといざなわれました。船が比較的波の穏やかな海域で揺られている間、クルマエビのクラッカー(カッパえびせん)を求めて競り合っているカモメの群れに餌をやっていると、ミンダナオの沿岸を出港したときの故郷への感慨がこみ上げてきました。東京での暮らしはマニラでのやる気やにぎわいと似ている一方、松島湾はザンボアンガのごつごつした海岸と似ているように感じます。波は私の精神を落ち着かせ、ストレスの多い心をほぐしてくれます。この旅行の間少なくとも1~2日間、つかの間、研究と仕事の悩みからは無縁であると感じる日を過ごすことができました。

三つ目に、宮城の石巻港の景色は恐ろしいものでした。私は荒廃を目にする心構えができていなかったのですが、その光景を目にした瞬間、去年の東日本大震災の恐怖がフラッシュバックしてきました。
3.11の悲劇のガレキは私にとって東北の美しさの傷の象徴です。
人々の喪失、悲劇への同情というよりも、この地域の人々(あるいはもしかしたら日本全体)が目の前の惨状に対して示した礼儀正しさに対し、心から敬意を表します。市街の惨状は単なる物理的なもので、人々の精神はしっかりとしていて希望が湧き出していることが、ボートを漕いで入り江を横断している男の人の中に象徴的に表れているのをみて確信しました。

日本の歴史の創作の象徴として会津鶴ヶ城のような人工的な芸術作品とともに、東北の物理的な被害を東北の美しさの現実的な要素として見るのがよいのかもしれません。鶴ケ城の内装は、私が今まで見た中で最高、もしくは最高の部類の一つでしょう。今まで日本のほかのお城や美術館などで見た数多くの歴史的記念品や工芸品のなかで、このお城の、地域の治安や安定につながる道筋を詳細に年代順に、そして口述や絵画的、あるいは文書など様々な形態の現存する歴史的文献からきちんと制作する方法は、もう一度見に行く価値があります。

そして今年の旅の締めくくりに、幕末の動乱期の内戦のイメージとして私を興奮させる、白虎隊自刃の場として知られる飯盛山に登りました。ほとんどの人が、戦争の暗黒面と死に注目しますが、私にとって白虎隊は、日本の平和と混沌、生と死、秩序と混乱の象徴です。

いうまでもなく、この夏の東北旅行は、荘厳と不完全、現実と想像の特徴が並存する事からなる現実の美しさと内面の美しさの意味を教えてくれました。


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