検察取調べの可視化が必須である事を証明した村木厚子元厚生労働省局長に対する無罪判決

「郵便制度悪用」虚偽証明書発行事件 村木厚子被告に無罪判決 無罪確定の場合、復職へ

昨日大阪地裁ででた元厚生労働省局長の村木厚子被告に対する無罪判決が出ました。これは日本の司法の歴史的転換点になるほどの大きな判決になるかもしれません。

なぜなら、今まで私たちは、検察は私たち国民を悪から守ってくれている素晴らしい正義の味方と思っていたことが根底から覆され、きちんと改革しなくてはならないとんでもない組織である事が明らかになったのですから。

例えば、あなた自身が何らかの理由で検察ににらまれたとしたら、
実際には何にも悪いことをしていなくても、逮捕され拘留され、
検察の描いたストーリー通りの自白をするまではいつまで責め続け
られ外に出られないというのですからたまったものではありません。

今回の判決について週刊朝日編集長の山口一臣氏のコメントを見ると、今回明らかになった検察の手法が今まで数々の冤罪を生んできたことがわかります。


村木厚子さん無罪判決について 週刊朝日編集長・山口一臣より
引用
******************************
この無罪に意義があるのは、検察の独自捜査、特捜検察の捜査そのものに問題があることが明らかになったことです。これは大阪地検特捜部の大チョンボとか失態といった次元の話ではありません。
氷山の一角と言っていいでしょう。

 あらかじめ事件のストーリーを決め、それに沿った調書をデッチ上げる。関係者を呼びつけ脅し、利益供与をほのめかしながら作文する。まさかそんなことまでしているとは想像だにしていませんでしたが、村木さんの事件によって多くの検面調書(検察官が録取する調書)が実は証人の供述に基づくものでなく、検事自身の作文だったことが明らかになりました。これら検察の独自捜査特有の手法が今回、たまたまバレただけのことで、特捜検事にとっては日常的なことだったのです。ジャーナリストの魚住昭さんの近著『冤罪法廷』(講談社)にこんな一節がありました。魚住さんが共同通信記者時代に検察回りをしていたころ、同僚記者がある特捜検事にこう言われたそうです。
「お前ら記者たちは、捜査というのは正義と真実を追及するところだと思っているだろうが、それは違う。捜査というのは一定の筋書きに沿った供述を集めて、事件を造ることなんだぞ」

http://bit.ly/9bK5Zq
******************************


今回の裁判では、公判中に多くの証人が検察に対する自白を覆し、検事調書は検事の作文であると主張した事を、裁判所が受け入れ検事調書の多くを証拠採用しなかったことで、無罪につながりました。

しかし今までの裁判では、裁判官の前で検事調書と違う証言をしたとしても検事調書が採用され有罪に追い込まれていきました。

この構図は、冤罪を生んだ菅谷さん事件でも全く同じだった事が明らかになっています。


したがって、冤罪をうまないようにするためには、取調べの可視化が不可欠であり、昨年政権交代した時の民主党マニフェストにはしっかりそれが盛り込まれていました。

ところが、菅政権になり参議院選挙のマニフェストからはこれが消えてしまっています。なぜ消えてしまったのでしょうか?
菅さんが言う財源がないという問題ではないでしょう。
ではなぜか?

考えられるのは、菅さんが官僚の圧力に屈してしまったということくらいではないでしょうか?


さて、村井厚子さんの判決については、自身も国策捜査の犠牲になり、有罪判決を受けた佐藤優さんがブログに書いているので、ご紹介します。



村木厚子さん判決

佐藤優の眼光紙背】村木厚子厚生労働省局長に対する無罪判決
http://news.livedoor.com/article/detail/5001707/