龍馬の暗殺が現在の官僚支配の日本につながっていた?!

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先週のこの欄で、現在の政治の状況を幕末の志士たちになぞらえて書いたら、今週田中良紹の「国会探検」というBlogでやはり坂本龍馬と現在の国会の状況を書いていたのでご紹介いたします。

田中によると坂本龍馬には「閑愁録」と「藩論」という二冊の出版物があり、それに龍馬の新国家構想が示されているとしています。


(ここから引用)
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 「閑愁録」は慶応3年5月に出版された。その翌月に龍馬は夕顔丸に乗船し、長崎から上京する船中で長岡謙吉に「船中八策」を口述筆記させている。ここに徳川幕府に代わる近代国家の構想が初めて提示された。

 それによると、まず徳川は政権を朝廷に返還し、次に二院制の議会を設置してすべてを議論で決し、有名無実の官を廃して天下の人材を登用し、外交の確立と憲法の制定を行い、海軍の強化など兵制を確立し、さらには外国と対等の為替相場を実現する事を提案している。龍馬は封建的専制政治から二院制議会による立憲政治への転換を指し示した。

 その後、龍馬の考える大政奉還の方針と薩長の武力倒幕の方針とが激突する。龍馬は力による政権交代を徳川の権力が薩摩や長州に移るだけだと捉え、「公武合体」、言い換えれば「大連立」による平和的政権交代に情熱を注いだ。実際、慶応3年10月に徳川慶喜大政奉還を決断すると「慶喜のために一命を捧げる」とまで言って涙を流し、ただちに新政府の人事案作成に取りかかっている。

 内閣総理大臣に当たる関白に公家の三条実美、副総理に当たる副関白に徳川慶喜を充て、それを支える重役には四賢候と呼ばれた藩主や岩倉具視らの公家、さらに西郷、大久保など薩長藩士と学者の横井小楠も内閣に参加させている。いわば幕末日本のドリームチームとも言える布陣を考えた。

 ところが武力倒幕を準備していた岩倉や薩長にとって龍馬の大政奉還論は障害であった。西郷の命を受けて江戸市中を荒らし回る「御用盗」が組織され、徳川幕府に対する挑発行為が始まる。その頃に京都で龍馬は暗殺された。挑発に乗った幕府が江戸の薩摩屋敷を攻撃した事から、大政奉還したにも関わらず、戊申戦争の幕が切って落とされ、賊軍となった幕府と官軍との戦いが始まるのである。

 「藩論」は戊辰戦争がまだ終わらない明治元年12月に出版された。木版16頁の小冊子だが新時代に藩が行うべき政治の在り方が書かれている。そこには、藩にあって領民は全てが平等であり、武士階級以外の町人や農民にも選挙権を与え、しかし衆愚政治に陥らぬよう一回の選挙で選ばれた人々がさらに互選によって有能な人物を選び出し、議会制度で政治を行うべきだと書かれている。
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これを読んでみると坂本龍馬の構想力の凄さが浮かび上がってきます。

大政奉還
・二院制の議会を設置してすべてを議論で決し
・天下の人材を登用
・外交の確立と憲法の制定
・海軍の強化など兵制を確立
・外国と対等の為替相場を実現する


今だったらすべて納得できる、あるいは今でも充分にそのまま通用するビジョンではないですか?

こんな構想を何百年も幕藩体制が続いてきた日本の片田舎で下士という虐げられた身分で育ち、留学もしたことが無い龍馬が作り出すことが出来たのは、ものすごい学習と世界の流れを読む鋭い洞察力、そして何とかしなければ日本がつぶれるという強い危機感を持っていたからに違いありません。

でも100年以上も経った時代の人間がみても納得できるビジョンは当時の人間から見たら相当飛んでいるものだったでしょう。

また龍馬は脱藩浪士という守るべき組織がない自由な身分だったからこそ、「公武合体」、平和的政権交代を構想できたのでしょう。

これと比べると薩長岩倉具視といった勢力は、まだ完全な四民平等ではなく、公家や武士という身分の優位性を保ったままの構想であるのがわかります。

坂本龍馬が暗殺されず、明治政府の成立に影響力を与えることが出来たとしたらその後の日本の方向性も変わったかもしれませんが、実際は龍馬亡き後「官尊民卑」の流れができ、それが現在の日本の官僚支配まで連綿と続いているということです。

(ここから再び引用)
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明治4年に欧米を視察した岩倉使節団が強く影響を受けたのはプロシャの鉄血宰相ビスマルクで、議会嫌いのビスマルクから絶対君主と官僚による国造りが進言された。こうして薩長藩閥政府による官僚政治が始まり、士族以上の階級が官僚となって平民を支配し、「官吏侮辱罪」と「公務執行妨害罪」によって「官尊民卑」の思想が育まれた。

 このように龍馬の思想は明治政府に生かされる事はなかった。
薩長藩閥政府に対抗した自由民権運動の中に龍馬の夢は甦るが、しかし官僚政府はこれを厳しく弾圧し、ようやく国会が開設されると、今度は選挙で選ばれた政治家を無力化する施策が打ち出された。
超然主義」を宣言した政府は国会が決めた事を「超然と」無視する姿勢を貫き、力のある政治家が現れると必ず「金権」のレッテルを貼って国民の怒りの対象にした。
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なんか今の時代を見ているようではないでしょうか?

興味を持ったら、ぜひこの田中良紹の「国会探検」を読んでみてください。

田中良紹の「国会探検」
誰も言わない龍馬伝
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/08/post_228.html


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